ページ番号1011194 更新日 令和元年12月20日
イベントカテゴリ: 観光・まつり
令和元年11月16日(土曜日) 、11月17日(日曜日)
午前9時 から 午後4時30分 まで
魅力マイスターと一緒にぶらりと歩く”ムサブラ”をしながら、武蔵村山の魅力と謎を解き明かす魅力体験日帰りモニターツアーを開催しました。
参加者の皆様は、マイスターに積極的に質問をしたりスマートフォンアプリ「ムサブラ」を利用しながら武蔵村山の魅力の謎を解いていました。
昭和34年に武蔵村山市内(当時の村山町)で小林マイスターのお祖母さん達がみかん栽培を始め、安定したみかんの収穫にたどりつくのに5年の歳月がかかったそうです。武蔵村山で穫れるみかんは、酸味と甘みのバランスが良く、みかん自体の味が濃いのが特徴と小林マイスターはおっしゃっていました。
[画像]写真(20.9KB) [画像]写真(20.6KB) [画像]写真(21.6KB)「村山かてうどん」は讃岐うどんなどに比べると茶色がかった麺の色をしており、武蔵村山産を含む国産の小麦を配合することで素朴な色合いが出るそうです。「村山かてうどん」では「冷たくしめた麺に温かいつけ汁とかてを添えて提供する」こと以外は細かな定義をせず、製麺方法や調理のレシピについては基本的に店主に委ねています。そのため、それぞれのお店が店主のコンセプトに沿って味やサービスを追求し腕を振るうことで、お客様にとっては食べ歩き・食べ比べの楽しみが広がっています。だからこそ、これだけ多くのうどん店が存在していると藤本マイスターがおっしゃっていました。
なお、ツアー1回目は市内のうどん店「青柳」で昼食し、2回目は村山かてうどんを作り体験をしました。
東京都内の市で唯一駅がない武蔵村山市ですが、かつては村山・山口貯水池建設工事のための鉄道が通っていました。軽便鉄道「村山・山口線」です。トンネルができた当時のまちの様子やトンネルの構造やつくり方などについても教えていただきました。
[画像]写真(12.5KB) [画像]写真(16.0KB) [画像]写真(29.0KB) 平安時代末期、武芸のある下級貴族が都から国司として派遣され、その任務期間が過ぎても都に帰らず自立し所領を発展させていきました。これが武士の起源と言われているそうです。武蔵村山に派遣されたのが平頼任。康和2(1100)年頃。湧水のある狭山丘陵麓を開発し、地名である村山を姓として村山頼任と名乗ります。ちなみに『村山』の地名の由来狭山丘陵は小さな峰が多く、群れなす山→群山→村山になったと言われています。
なぜ村山に武士がいた?狭山丘陵の湧水があり開発可能で本拠となりうる土地だったからです。
12年前、藤島マイスターは姪の留学先のロンドンで紅茶に出会いました。
その後、都内の紅茶屋さんに行った際に、紅茶の本に出会い、その奥深さや種類などの多さを知り、興味を持ちました。思い切って、著者に連絡したところ藤沢で実施している教室を知り、通うようになりました。そこで2年間みっちり修行しました。
習った紅茶やケーキの技術を活かしたいと考えてところ、ちょうど、市主催の生涯学習の講師の募集があり、紅茶講師としてスタートしました。
市民の方からは好評で「お店に伺いたい」という嬉しい言葉をたくさんいただくようになり、家の開いている駐車場スペースにお店を建てることとなりました。
そして、平成28年に武蔵村山の小松菜と貴重な地粉を使ったシフォンケーキを発明し、武蔵村山地域ブランド認証品に認定されました。
温泉というと、火山のそばに湧く温泉をイメージすると思います。なぜ、火山があるわけでない武蔵村山に温泉が湧くのでしょうか?狭山丘陵の谷部は岩盤が地下深くにあり、温泉が湧きだす可能性が高いということで平成8年に掘削をはじめることとなりました。
かたくりの湯は地下1500mの地熱を利用した、成分にメタほう酸が含まれた温泉で平成14年にオープンしました。
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