武蔵村山市の歴史


ページ番号1003665  更新日 令和4年10月7日


 武蔵野台地の西辺は、古くから村山郷と呼ばれていました。「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山(むれやま)」が訛って「村山」になったといわれています。
  村山の各村は、明治22年に中藤村ほか3か村組合として発足しました。以後、幾多の変遷を経て、大正6年4月1日、各村は合併してひとつの村となり、「村山村」と命名しました。
  そして昭和29年11月3日町制が施行され、さらに昭和45年11月3日には市制が施行され現在に至っています。
  この時、市名は「村山市」となるはずでしたが、山形県に同名の市があったため、緑豊かな武蔵野の「武蔵」を冠して「武蔵村山市」となりました。

武蔵村山市行政区画の変遷(明治以降)

明治元年(1868年)
府藩県職制度により、武州多摩郡中藤村、横田村、三ツ木村(一部を除く)、岸村の御領分が韮山県に所属する。
明治4年(1871年)
廃藩置県により、韮山県中藤村、横田村、三ツ木村、岸村が神奈川県に編入する。
明治17年6月(1884年)
北多摩郡中藤村、横田村、三ツ木村、岸村の4か村の連合村となる。
明治22年4月(1889年)
北多摩郡中藤村ほか3か村組合が設立される。
明治26年4月(1893年)
北多摩郡中藤村ほか3か村組合が神奈川県から東京府に編入する。
明治41年4月(1908年)
中藤村と横田村が合併し、東京府北多摩郡中藤村ほか2か村組合となる。
大正6年4月(1917年)
3か村が合併し、東京府北多摩郡村山村となる。
昭和18年4月(1943年)
東京府が東京都となる。
昭和29年11月3日(1954年)
町制施行によって、東京都北多摩郡村山町となる。
昭和45年11月3日(1970年)
市制施行によって、東京都武蔵村山市となる。

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