ページ番号1001611 更新日 平成28年2月29日
横龍山吉祥院は、曹洞宗長圓寺の末寺で、江戸時代の初め長圓寺三世竹同呑行 によって開山されたと伝えられています。
創立年代は不詳ですが、御神体は元禄4年(1691)に三ケ島の照明院から遷宮されたものです。毎年8月第1日曜日には、重松囃子(市指定無形民俗文化財)が奉納されています。
「大多羅法師という大男が、藤づるで丸山を背負い歩いた足跡が井戸になった」という伝説が残されています。
番太池は、上と下の二つの池からなり、江戸時代は「御獄の溜井 」といわれていました。赤坂池とともに、入りの田んぼと中藤田んぼの灌漑用水池として造られました。
龍華山清浄光院眞福寺は、奈良時代和銅3年(710)、行基によって創建され、その後、承久2年(1220)に落雷によって焼失した古刹です。現在の本堂は、安永7年(1778)の建立で、板戸の十六羅漢画や格天井花鳥画(市指定有形文化財)は天保10年のころ青梅の人石川文松によって描かれたものです。江戸時代の建立とされている山門には、寛永15年(1638)鋳造の梵鐘(市指定有形文化財)が収められています。
江戸時代は眞福寺持ちでしたが、明治時代になって愛宕神社と合祀し、谷津の鎮守となりました。社殿内には「指田日記」(市指定有形民俗文化財)の筆者指田摂津正藤詮の筆による熊野権現の額が掛けられています。
建立年代は不詳ですが、境内には弘化2年(1845)建立の常夜灯があります。また、立皮の桜と呼ばれる幹周り2メートルに及ぶ桜の名木があります。
青梅街道の大橋の交差点を南に入り、谷戸川の橋を渡ったところにある地蔵尊です。享保13年(1728)に中藤村の人々によって造立されたもので、現世と来世を結びつける仏として庶民に親しまれてきました。
神明ケ谷戸 の大日堂にある庚申塔(市指定有形民俗文化財)は、宝暦9年(1759)に造立されたものです。江戸時代庚申信仰が庶民の間にひろまり、市内に21基現存していますが、この塔は代表的なものです。また、大日堂には享保8年(1723)に造立された金剛界大日如来が安置されています。
建立年代は不詳で すが、以前遙排所であったものを神明ケ谷戸の鎮守にしたといわれています。拝殿の裏には板碑が祀られています。
江戸時代のはじめ、屋敷山に前島十左衛門という地頭の屋敷があり、この地を支配していました。その娘にはどうしたことか手の指が6本あり、年ごろになると身の不幸を悲しみ自ら命を絶ってしまったので、村人が彼女を哀れんでその菩提を弔うために六ツ指地蔵尊を建てたと伝えられています。今では子育地蔵として信仰されています。
横田・中藤両村の総鎮守で、江戸時代延享4年(1747)の古文書には、すでに神明社の記載がみられ、創建の年代はそれ以前と思われます。
新青梅街道の三本榎交差点を立川方面に向かうと榎の巨木がすぐ目に入ります。東から、奥住榎・加藤榎・乙幡榎といい、まとめて三本榎と呼んでいます。江戸時代、引又街道の脇に村人が塚をつくり榎を植え、庚申塔や馬頭観音を祀ったといわれ、いくつかの伝説も残されています。
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