くらし


ページ番号1001943  更新日 平成28年2月20日


 わたしたちの武蔵村山は、今から1万数千年以上前から人が住みはじめ、狭山丘陵の豊かな自然とその南に広がる武蔵野台地との深いかかわりの中で、先人たちは歴史的にも文化的にも貴重な財産を残してくれました。このコーナーでは「くらし」に関わる道具にスポットをあてて、「武蔵村山のあゆみ」につい見ていきます。

その1 水桶(おけ)と天秤(てんびん)

[画像]水桶と天秤(22.9KB)

 写真の「おけ」と「てんびん」は、井戸からくみ上げた水を運ぶのに使った道具です。今から50年以上前、現在のように水道が普及していなかった頃には武蔵村山でもよく使われていました。片方の桶には2リットルのペットボトル15本分の水が入ります。

その2 背負いかご

[画像]背負いかご(29.9KB)

 写真の「かご」は、雑木林で落ち葉集めをするときに使った道具です。現在ではほとんど行われなくなりましたが、今から40年以上前には、こうして集められた落ち葉を積み重ねて腐らせて堆肥(たいひ)を作って畑に蒔いていました。軽い落ち葉も、このかごいっぱいに集めるとかなり重くなります。小学生だと一人でかつぐのは大変です。

その3 荷車(にぐるま)

[画像]荷車(30.9KB)

 写真の「にぐるま」は、畑でとれた農作物などを運ぶときに使った道具です。リヤカーが普及する前までは武蔵村山でもよく使われていました。車輪は細く木でできていますが、補強のため鉄の枠がはめられています。

その4 棹秤(さおばかり)

[画像]棹秤(12.5KB)

 写真の「はかり」は、皿付のさおばかりです。さおばかりは日本では古くから使われていました。重さを知りたいものを皿の上に乗せ、その反対側にオモリ(フンドウ)をかけ、さおが水平になった時、オモリのかかっている場所にある目盛りを読んで、その重さを知ります。武蔵村山市では、かつて養蚕が盛んだったころ、カイコのまゆもこのようなはかりで、重さをはかりました。資料館には他にも、いろいろなはかりがあります。


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